内山完造生誕140周年記念イベント ~上海で盛大に開催~

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内山完造生誕140年記念「内山完造と日中友好」展開催

 20世紀初頭の上海で書店を開き、中国の文豪・魯迅(1881〜1936)らと深い友情を結んだ岡山県出身の文化人・内山完造(1885〜1959)。その生誕140年を記念する特別展「以書肆為津梁,期文化之交互――内山完造と日中友好」が、2025年10月19日、上海魯迅記念館で開幕しました。

 会場には、岡山市日中友好協会、上海市人民対外友好協会、虹口区人民政府などの関係者をはじめ、日中両国の研究者や市民ら約80名が集い、文化交流の歴史を振り返りました。

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上海と岡山を結ぶ文化の絆

 開幕式では、上海市対外友好協会の陳靖会長、日本国総領事館の岡田勝総領事、虹口区の姜愛鋒副書記、岡山市日中友好協会の土井章弘会長、そして東京・神保町の内山書店社長・内山深氏らが挨拶しました。

 陳会長は「内山完造と内山書店は、中日文化交流の歴史の中で重要な役割を果たした。内山先生の精神を受け継ぎ、両国民の相互理解と友好を深めていきたい」と述べました。

 また、姜副書記は「虹口区は海派文化の発祥地であり、1917年に開設された内山書店は中日民間交流の象徴。今回の展覧会は、地方レベルでの文化協力をさらに推進する試みでもある」と語りました。 

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内山完造の歩みと魯迅との友情

 岡山県井原市出身の内山完造は、1913年に参天堂(現・参天製薬)の販売員として上海へ渡り、1917年に妻・美喜子とともに「内山書店」を創業しました。

 当初は宗教書を扱う小さな書店でしたが、やがて文学書や思想書も取り扱うようになり、日本と中国の文人たちが集うサロンへと発展しました。谷崎潤一郎、郁達夫、郭沫若など多くの文化人が往来し、1927年に魯迅が広州から上海へ移った際、両者は出会います。

 魯迅が弾圧を避けて潜伏生活を送る間、内山夫妻は生活を支え、深い友情を築きました。この信頼関係は、時代を超えて日中両国の民間友好の象徴となっています。 

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展覧会の見どころと協会の貢献

 今回の展覧会は、「内山完造と上海内山書店」「内山完造と日中文化交流」「内山完造と魯迅」「日中友好への尽力」という4つのテーマで構成され、内山の墓碑文「以書肆為津梁,期文化之交互、生為中華友、歿作華中土(書店を懸け橋として文化交流を期す。生きては中華の友、死して中華の土となる)」を中心に展示が行われました。

 岡山市日中友好協会は、特別出展として内山完造の書作品5点を提供。日中両国の関係者は、これらの書を通じて彼の精神を改めて感じ取りました。土井章弘会長は、「内山先生は戦後も日中友好運動の先頭に立った。今回の展示が、両国の若い世代に友好の大切さを伝えるきっかけとなることを願います」と語りました。

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虹口から未来へ -文化交流の継承-

 展覧会後、岡山市日中友好協会の代表団は、虹口区に新たに整備された「1927・魯迅と内山記念書局」を訪問しました。この場所は旧内山書店の跡地にあり、当時の雰囲気を現代的に再現した空間です。書店主と文豪の友情が築いた文化の橋は、今も静かに両国の心を結び続けています。
 虹口区では近年、「魯迅文化週間」などを通じて市民レベルの文化交流を活発に行っており、岡山市との協力も年々深まっています。

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終わりに

 内山完造と魯迅が築いた友情は、100年の時を超えて今も生き続けています。「書店を架け橋として文化交流を期す」という内山の信念は、現代においても私たちが共に歩むための指針です。岡山市日中友好協会は、こうした民間の文化交流を未来へとつなげ、次世代へ受け継いでいく活動を今後も続けていきます。

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